平成16年2月号(621号)から |
表紙 新雪の室生寺 / 編集部・撮影 |
目 次 夢と三昧 〔下〕 / 坂東性純(坂東報恩寺住職) 維摩居士の在家道 〈2〉 / 瀧藤尊教(元四天王寺管長) デクノボーのこころで生きる / 三輪真純(群馬・慈恩寺住職)
法演禅師の『四戒』 / 松原泰道(南無の会会長) 賜りたる人生の終焉を / 瀬上敏雄(俳人) グラビア ブッダの道 50 / 大蔵経の版木を蔵する韓国海印寺
〈行雲流水〉 〈同心円〉 賢愚和楽の世界 / 金光寿郎(元NHKチーフディレクター) 〈行住坐臥〉 〈無尽灯〉 われらこの道を往かん
〈編集後記〉から
十一月の下旬から十二月にかけて、インドの仏蹟巡礼があった。ことしは雨季の雨量が多く、いつもの悪路がさらに荒れて、橋が不通になって迂回したり、道の窪みを避けてバスは船のように揺れながら速度を落した。その間、二五○キロ。釈尊成道(じょうどう)の地ブッダガヤーに近づいた頃には深夜を過ぎて、あとわずかのところで、そこからの夜道は警護の兵の同乗なしでは通行が許されず、兵の到着まで二時間近く路上で待機した。 イギリスの文明批評家であったウェルズに次の一文がある。「ブッダの後の仏弟子たちは、地上の自分たちの無数の仏教解釈の電灯をつけ、その人たちの光に目が眩んで、いま肝心なブッダの世界の無限の星空を見ることができなくなった」と。 ヒンドゥーの家庭では、子どもが七、八歳になると、人生の大事を教え、その誓いを守る証しにその日から誓紐(せいちゅう)を身に付けさせる。古来の習慣を護持し、古老を敬し、両親に仕え、女性や弱者を援(たす)け、純潔を尊ぶ。 今月の坂東先生の「夢と三昧(さんまい)」には、「人がはからいを用いないときに向こうから自然にはたらき出してくるのが仏智で、人はそれによって自然(じねん)に助かる。人にできることは、その仏智がはたらき出す場をととのえることだけで、人は仏の智慧を自分の力で獲得することはできないのです――」。インド数千年来の深い智慧を聴いている思いがある。
|
| ページのTOPへ↑ |