月刊誌「在家佛教」のご紹介
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平成15年11月号(618号)から
平成15年11月号
目 次
否定でも肯定でもない岡村美穂子 (大谷大学講師)
「詩は、『現実』と思われているものよりもリアルである。宗教は詩である。無限なるものはただ詩の世界においてのみとらえられる。」

いま、深く真実のいのちを見つめる〔続〕高史明 (作家)
「『弥陀ヲタノムココロノ一念ノ信心』、この蓮如上人の『タノム』は、自分をおまかせする、弥陀におまかせすること、これこそが信心。」

天海僧正の面目〔下〕杉谷義純 (元天台宗宗務総長)
「天海僧正は徳川三百年の精神的基盤を支え、『天海版』と呼ばれる一切経の印刷・刊行など画期的な文化事業にも多大な貢献があった。」

<表紙>
渓谷の村の川畔の荼毘編集部・撮影
<グラビア>
ブッダの道(47) 観音の聖地普陀山
<巻頭>
還源の思い資延敏雄 (高野山真言宗管長)

<行雲流水>
  酒の人生秋山裕一 (日本醸造学会会長)
  原子力のタブーを打破しよう村田光平 (元駐スイス大使)
  (株)ミツトヨと仏教文化活動沼田智秀 (仏教伝道協会会長)
  仏舞黒川文子 (NHK学園講師)
  庁と廳・医と醫・仏と佛小西輝夫 (元精神科勤務医)

常不軽菩薩に学ぶ今成元昭 (立正大学名誉教授)
深い願い 深いいのち中西智海 (築地本願寺輪番)
「M夫人」のデッサンC・S・ユン (彫刻家)

枕経本間榮 (開業医)
一つの経営理念小田文一 (元理研化学社長)
八十路の歩木下二三子
古寺を訪ねて法話を聞く川那部好香

<同心円>
 死んだらどこへ行きますか
金光寿郎 (元NHKチーフディレクター)
<拈華微笑>
 公衆浴場
坂東性純 (坂東報恩寺住職)
<如是我聞>
 身心一如
奈良康明 (駒澤大学総長)
<心月輪>
 酒飲むは罪
石上善應 (淑徳短期大学学長)

<いのちのことば>
 ハタ目を気にする
板橋興宗 (前曹洞宗管長)
<叢林>
 学は人なり
常磐井慈裕 (東方研究会研究員)

<無尽灯>
 在家者の宗教生活
加藤辨三郎 (在家佛教協会初代理事長)
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<編集後記>から

 本号に岡村美穂子先生が「鈴木大拙と俳句」について語っておられる。「よく見ればなずな花咲く垣根かな」の芭蕉の一句を先生から聞いた十代の頃の岡村さんは、「先生、それだけですか?」と訊き、それに先生は、説明を加えずに「それがすべてだ」と言われる。岡村さんは「それだけ?」と「それがすべてだ」ということばのへだたりに気づいてゆくところから話を始めておられる。

 この一句には、いままでいくたびも出会いながら、鈴木先生と岡村さんとの会話を通じて初めてこの句の詩核に近づいた思いがあった。大拙先生は一句の「垣根」を「門(ゲート)」と訳しておられる。そのことがまず驚きであった。

 禅語に「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」がある。また、梅花を求めて家を出た主人がわが家に帰ってきて、門頭の梅花に遇う、という意味の詩偈もある。鈴木先生の英訳の「門(ゲート)」によって、この「垣根」が、見なれたわが家の垣根であったことに眼を開かれる。「脚下照顧」がそれだけで、すべてを言いつくして象徴の世界を完結しているように、この一句も「門の傍(バイ・ザ・ゲート)」によって、詩の生命を吹き込まれた感がある。

 大拙先生の遺稿に「宗教は詩なり」の断章があるという。異なった文化・言語世界に禅を語りつづけた先生は、複数の言語のはざまで「不立文字」の風光を指さしてこられた。そのゆたかな詩的直観を吐露された先生のことばが思い出される。

 「人は考える葦である。だが、人間の偉大な仕事は、彼が計算しない時、考えない時になされる。“無心”が永年にわたる自己忘却の修練ののちに回復されねばならぬ。そのことのなる時、もはや、人は考えながら、しかも考えない。彼は空から降る夕立のように考える。夜ぞらに輝く星のように考える。爽快な春風にめぐむ木の葉のように考える。実に、彼は、夕立であり、海原であり、星であり、木の葉である」

 今月号で高史明先生は、蓮如上人の「タノム」の語に「おまかせ」の意を見出された経緯を語っておられる。求道の転機となったその啓示に如来のやみがたいみちびきがあったと、深い謝念をこめて「永年にわたる自己忘却への道」を辿っておられる。

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