月刊誌「在家佛教」のご紹介
 バックナンバー 

平成15年9月号から
平成15年9月号
目 次
流れに随って野田大燈 (大本山總持寺後堂)
「生きる秘訣は何か、力を抜くこと。流れに任せて、おれがとか私がとかという我を捨てたとき、初めて人は生かされる。それは、仏の力」

浄土のはなし(下)加藤辨三郎 (在家佛教協会初代理事長)
「念仏の一道を歩まれた加藤辨三郎先生が、師の金子大榮先生の教えに照らしながら、浄土信仰の究極に到達した親鸞聖人の浄土観を語る」

仏教とは何か前田惠學 (愛知学院大学名誉教授)
「いま私たちに必要なのは、ある時代の仏教の詳しい研究ではなく、仏教の大きな流れを最初から現代までしっかと掴むことだと思います」

<表紙>
韓国忠清北道の俗離山法住寺編集部・撮影
<グラビア>
ブッダの道(45) 太白山天童寺
<巻頭>
ひと筋の道大河内昭爾 (元武蔵野女子大学学長)

<行雲流水>
  ロシア東シベリア紀行松尾剛次 (山形大学教授)
  現実の中から下田正弘 (東京大学助教授)
  坐禅健康法角田泰隆 (駒澤短期大学教授)
  白骨の御文笠伊次郎 (日本心身医学協会理事)

利他と自利は一つ青山俊董 (愛知専門尼僧堂堂長)
少年の三昧森 政弘 (東京工業大学名誉教授)

<同心円>
 九十の手習い
金光寿郎 (元NHKチーフディレクター)
<如是我聞>
 不死
奈良康明 (駒澤大学総長)
<心月輪>
 洗浴身体
石上善應 (淑徳短期大学学長)

アタマデッカチ和田重良 (くだかけ生活舎)
ビジネス戦士仏門に入る水戸悠啓 (多聞塾)
妻の遺言宇須井眞如 (仏道修法院法主)
盲蛇に怖じず荒木稔恵 (増谷・玉城博士記念会主宰)

<叢林>
 味わう
奈良修一 (東方研究会研究員)
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<編集後記>から

 七月二十一日の午後、激しい雨があった。断続しながら降りつづく梅雨の末期の雨に、二十年前の八月十五日のことを思い出していた。台風の接近で風雨の荒れたその日の夕刻に加藤辨三郎先生逝去の知らせを受けた。

 その年の六月、加藤先生はNHK文化センターの講座の終わりに、「私は念仏を与えられ、自ら凡夫と自覚して、真の自由を得ました。釈尊のおことばを命のあるかぎり学んでゆきたい」と語り、七月九日の協会の定例講演会には司会をおつとめになって、お別れしたが、お疲れのご様子が異常で、思わず「お大事になさってください」と声をおかけした。

 それから二日。七月十一日の夕刻に救急車でご入院。ご家族のご家族の看護日誌の七月二十四日には、夜、目をぱっちり開いて「驕慢(きょうまん※)のいたりでした」「どう考えても逃げ道はありません」と言われたことが記されている。

 先生から「驕慢」を慙愧(ざんぎ)するお声を幾度となく拝聴した。ご講演で質問が出たときも、「それは驕慢です」と、こともなげにおっしゃることがあったが、それは如来の前ではお互いが「驕慢」のほかのなにものでもないのだというご自覚からであった。人は自らの力を恃(たの)む我執から離れるすべはないのだ、と。

 近代のインドの聖者と仰がれたラーマクリシュナにも、この我執への戒めがあった。その晩年に弟子たちが師の病を気づかって、身を凭(もた)せかける脇息(きょうそく)をすすめると、「そうしたものに凭れると驕慢な心が生じて神が見えなくなるから」と、それを用いることがなかった。

 ラーマクリシュナは求道の遍歴をこう語った。「海の深みへ入ってゆく時も、まだ足が砂地についている間は自分を恃む思いがぬけないものです。足が全く立たなくなり、自分が溺れ死んで、初めて神にすべてを任せきって大海の波のまにまに漂うのです」と。

 今月号の「浄土のはなし」にくりかえし出てくる「不可思議光如来(ふかしぎこうにょらい)」「無量光明土(むりょうこうみょうど)」の風光について、加藤先生は「言葉の届かないところにある真実です」と語られたが、足の立つ所を離れえない身は、なお言葉によってわが手につかもうとする、その思いが抜けないままに、今月号の「妻の遺言」に遺されたこの世を超えた言葉の前に頭を垂れている。

(※注:「驕慢」の驕は、原文では加藤辨三郎先生ご自身の使用例にならい、馬偏ではなく立心偏の漢字を用いている。インターネット上では表示できないため、本項は「驕」で代用した)
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