月刊誌「在家佛教」のご紹介
 バックナンバー 

平成15年8月号から
平成15年8月号
目 次
ページ
表紙 韓国慶尚南道の通度寺 編集部・撮影
ブッタの道(44) [グラビア]嵩山少林寺4
日記の中より西川 玄苔5

行雲流水
  老いを豊かにする仏の道奈倉 道隆6
  つつじを巡って神原 玄應9
  老いを学ぶ獅子 てんや11
  渓声山色の道元池田 魯參13

浄土のはなし <上>加藤 辨三郎16
いのちの出会い <続> <対談>川田 殖36
金光 寿郎
教えを聞くって、何のため <続>近田 昭夫76

光に遇う時大石 法夫50
本願に生きる宮岳 文隆56
行に学ぶこと池口 恵観87

心月輪
 仏飯を食む
石上 善應34
拈華微笑
 遺跡の徳
坂東 性純48
如是我聞
 いのちを愛しむ
奈良 康明70
同心円
擬我まがいものの我の話
金光 寿郎74

自然と心のふるさと菊川 春暁72
本当の今越沢 浩92
われ、われら春野 健治94



 今月の表紙33
 在家佛教通信 坐禅の会96
 編集後記97
 在家佛教講演会案内98
カット  杉本 順
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平成15年8月号より一部を抜粋します。
行雲流水
老いを学ぶ

獅子 てんや
(元漫才師)

 最近、町中で杖を手にして歩いている年配者を多く見受けるようになりました。「転ばぬ先の杖」「倒れぬ先の杖」などの諺がありますが、私もお蔭様で(大正十三年生れ)高齢者のお仲間入りをさせていただいております。只今のところは杖無しで歩いておりますが、私が外出する時などは必ず家族に「足元を気を付けて転ばないようにして下さいよ!!」「歩道などで物に躓かないようにして下さいよ!!」と毎回厳しく注意されております。年齢が増すごとに身体のすべての運動神経が衰え、特に歩行の運びが鈍ることは既成事実として認識することと覚りました。若い時には何でもなかった歩道の僅かな段差に躓き、危うく転倒しそうになって、まごまごすることが度々ありますが、実に情けない事です。老いると言うことはこのような姿です。「体験に勝る教訓はなし」の教えがありますが、諺、格言、故事、名言等は先人が日常生活の中で艱難辛苦して、体験した人生観の知恵を心の糧として伝承してくれた人間生活の至宝と思います。
 例えば出先で思わず転んで痛い思いをして、そこで初めて「ああ!!杖を持ってくれば良かった!!」と反省する「後悔先に立たず」です。すべての先人の人生体験であり、日常の喜怒哀楽の生活の中から生まれた名言と思います。先日、仕事先のホテルのロビーで運筆鮮やかな書体で『満而不溢』『悠悠自適』と書いた色紙の額が掲げてありました。お恥ずかしい次第ですが一寸字句が判読できませんので、電子辞典で調べますと、「満ツレドモ溢(あふ)レズ」と学び、私なりに解釈いたしました。例えばコップに水が満杯の状態なれば、もしもその上に一滴でも水を加えるならば忽ち余分な水はコップから溢れることは必定。その満杯のコップの水を零(こぼ)さず持ち運ぶことは至難の業です。しかしコップの中の水を八分目、或は七分目位にすれば水は零れることなく、安心して持ち運びが出来ます。何事も控え目、程々にする心得が大切と思いました。
 バブル経済の最高潮時代、好景気社会に対する警告として「物が栄えて心が亡びる」と叫ばれましたが、現代が正にその様相です。新型自動車、新型電話機、新型パソコン、電化製品等々が日進月歩、新製品が続々出現し、充分使用可能な製品が無造作に廃棄処分になる。実に嘆かわしい時代となりました。物が有り余り物の狭間に落ち込み、余裕がない為に心の落ち着きを見失い、夢中で日々を過ごしている日本社会の姿ではないでしょうか。正に『満チテ溢レル!!』でございます。
 さてもう一枚の色紙は『悠悠自適』でございます。「世間の雑事から解放され、ゆったりと自分の思うままにすごすこと」だそうですが、私達高齢者には誠に蘊蓄のある教えと思います。若き時代は情熱、体力共に漲り、恐いもの知らずで随分と出鱈目人生で、足の向くまま、気の向くまま、仕事も遊びも自由奔放でした。精神的にも体力的にも多忙な為、息抜きに仕事仲間と朝まで飲み明かすことが多々ありました。「一杯目は人が酒を呑み、二杯目は酒が人を呑み、三杯目は酒が酒を呑む。」と申しますが、こうなりますと身も心も貪欲の世界に沈んでいくようなもので、酔い潰れて全く前後不覚で家に帰るのが精一ぱいでした。そのようなふしだらな生活で心臓病となり「後悔先に立たず」となりました。病気の恐ろしさを戒心して、仏様に断酒することをお誓いして、今日迄十五年間一滴のお酒も口に致しておりません。何かお祝いのお席の時は乾杯で一寸グラスに口を付ける程度で過ごすようになりました。不思議なことに飲まなくなりますと、宴会などで潮時を心得るようになり、酒宴がたけなわな時分にさっとその場を引きあげてしまう要領も上手になりました。家族に心配させ、他人様にもご迷惑をおかけして参りました。心改め懺悔申しております。今日迄無事に生かされて参りましたことは、神仏のご加護と心よりお念じ申し上げております。お釈迦様の尊い御説法の中で、ご自身が八十歳になられたご心境をお話しなされた御教えがございます。

 『アーナンダよ。わたくしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した、わが齢は八十となった。たとえば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いていくように、おそらくわたしの身体も革紐の助けによってもっているのだ』

 このお話は、高齢となりました私にはひしひしと有り難さを感じます。「過去はすぎ去り、未来は来たらず、目の前にあることを直視して、今を懸命に生きよ」この世に生を受けて八十年。波瀾万丈の人生でございますが、老年期に入り尊い御仏縁も賜りましたことは、私の人生、最上の仕合せ者と心より報恩に感謝申し上げております。

(全文)

如是我聞
いのちを愛(いと)しむ

奈良 康明
(駒澤大学総長)

 最近感銘を受けた話二題
 I君は最重度の「精神発達障害」者だった。小学校に上がる時には、言葉は「うー」という声だけ。水遊びが好きで水道をみつけては水を跳ねかし、無理に離れさせるとギャーと言ってひっくり返って騒ぐ。幼稚園ではシャツ、ズボン、パンツと庭に転々と脱ぎ捨ててスッポンポンで滑り台の上に立ったりした。
 それからご両親や家族、指導の先生の言語に絶する苦闘が続き、自立させていく。相談を受けた石井葉先生は「このままだとこの子は将来隔離されて生きることになろう。しかし、人間は隔離されて生きるために生まれてきたものではない。生きるというのは、自分が誰かの役に立っているとか、自分がここにいることが意味があると思える人生であろう。そういう人生を生きる権利がこの子にはある」、という考えのもとに指導を始めたという。
 茶碗を洗うことから始まり、食べ物も「ちょうだい」と手を出す訓練に時間をかけた。山登りや料理も弱い脳の働きを高めることに有効だった。次第に自分をおさえられるようになったのは養護学校の高等部三年の時だったという。そして就職した。手抜きしないで誠実に行う仕事ぶりが高い評価を得、現在では病気がちの母親にかわって食事の支度や掃除・洗濯も彼がしているという。(「みちしるべ」Vol110、仏教ホスピスの会、平成15・6・2)
 もう一つは星野富弘氏へのインタビューである。(『やすらぎ通信』、ユーキャン出版局、機関誌 春号、2003・4・4)。星野さんは昭和21年生まれ。中学の体操教師として指導中に、事故によって、手足の自由を失った。次第に口に筆をくわえて詩画を書くようになり、今日では「花の詩画展」を世界各地で開催。平成3年「富弘美術館」が開館している。
 同氏は絶望の中で餓死による自殺も考えたが、食べないと腹がへり、心臓は動いていて、私を生かそうとしている。そのいのちを粗末にしては、いのちを授けてくれた人にも、励まし看病してくれた人にも申し訳ないと気づいた。先輩の牧師志望の方や大勢の方の励ましの言葉は「頑張って」とか「よくなるよ」ではなく、「神様のなさることはみんな計画があって、人は何らかの使命を与えられて生まれてくる」と教えてくれるものであることがわかった。私のこんな身体になったのも、何か私に与えられた使命があるのではないかと思えて、生きる勇気がわいてきた、と語っておられる。その後、ベッドで横になったまま、口で詩と草花の絵を書き出したという。
 二つの話しに共通しているのは、いのちの賛歌である。恵まれない状況にあって、孜々として倦むことのない努力を重ねて、人生をいとおしみ、生き続けておられる。楽しい人生が幸せな人生ではない。喜怒哀楽あざなえる縄の如き人生を生き抜いていく中に感得するいのちの大切さと、自分なりに納得できる人生。そういう人生こそ、釈尊は不死の境地だと言ったものであろう。仏教では不死とは悟りの別名だが、悟りとはいのちを燃焼しつくして生きるプロセスである、といってもいい。
 因みに、中村元先生は釈尊のこの詩を道元禅師の説く「修證一如」という思想の発端だと理解されている。

(全文)
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