月刊誌「在家佛教」のご紹介
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平成15年7月号から
平成15年7月号
目 次
ページ
表紙 韓国慶尚南道の海印寺 編集部・撮影
ブッタの道(43) [グラビア]中国浄土教発祥の地 玄中寺4
聖徳太子の理想大野 玄妙5

行雲流水
  戦あらしむな瀬上 敏雄6
  そっと合掌岡田 真美子8
  高原憲先生を想う竹下 哲10
  「いのちの尊さ」について才園 哲人12

いのちの出会い<対談>川田 殖21
金光 寿郎
教えを聞くって、何のため近田 昭夫42
大拙に見る禅と浄土 <下>竹村 牧男76

「随順」の慈悲大須賀 発蔵15
世のいのりに心いれて小林 博聞35
いのちはかなし いのち尊し水谷 幸正54
宿縁岡光 吉彦60
「無記」について太田 久紀66

如是我聞
 自己を護る
奈良 康明40
同心円
 気が咎めたらせぬがよい
金光 寿郎52
拈華微笑
 ブリンクリー先生のこと
坂東 性純64
心月輪
 脚下照顧
石上 善應72

忘れられた地獄藤本 誠74
「大日蓮展」開催に学ぶ浜島 典彦88
1+1=2小田中 喜水90


加藤辨三郎・言葉抄 33編集部・抄録92

 今月の表紙87
 編集後記97
 在家佛教講演会案内98
カット  杉本 順
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平成15年7月号より一部を抜粋します。
行雲流水
「随順」の慈悲

大須賀 発蔵
((財)茨城県カウンセリングセンター理事長)

 華厳経に魅かれて

 私は地方の零細企業の後継者として生まれ、今年八十歳になる人生の曲折を歩んでまいりました。その間、青年期の苦悩や経営上の困難を縁として、仏教やカウンセリングに出会い、現在は両者の心が深いところでは共通していることに深く感動を覚えております。
 そうしたことから、深遠な宇宙観・生命観を説く華厳経にも関心を寄せていますが、非力な私には難解です。しかしその中の「一句一行」からはっと気付き、新鮮ないのちへの眼差しを与えていただくことも多々あります。
 華厳経には「随順」ということばが、ところどころに出てまいります。一般的には経典の中の「随順」ということは、おそらく悩み苦しむ私たち衆生が、救いを求めて仏さまのあとを一生懸命ついて行く、というように受け取られると思います。もちろんその了解は基本的に大切ですが、華厳経の中には、私たち衆生を導くため仏・菩薩・そして善知識が衆生に「随順」して下さることも述べられています。いうならば、仏さまや菩薩さまの、私たち迷える者を救おうとなさる積極的な慈悲のはたらきが「随順」という姿になるのでしょう。
 ですから、仏さまは決して私たちの前へ出ないで、私たち衆生が煩悩具足の”体験過程”を充分に味わい、自ら洞察を深めるまで待ちながら、寄り添ってくれているわけです。そのような仏さまの深い慈悲心に気づくこともなく、わがいのちを先立てて得意然としている自分を思うと、恥じ入ることばかりです。

(中略)

 カウンセリングにかかわる私は、学校に行けないお子さんのお母さん方にお会いすることも多いのですが、そういう時を思い返してみましても、最初はお子さんが学校に行かないと言う不安から、親が先に立って道をつけてしまう「先行」というか、「随順」ではない関わりが多いのです。それは無理もない自然な行動ですが、その心にもカウンセラーが耳を傾け「随順」していきますと、やがて親も、ああそうではないんだな、いかようであれ、子どもの体験は、子ども自身の足でまず体験してもらって、親のほうは一ミリでも二ミリでも下がったところに寄り添って、その成長をあたたかく見まもりながら理解していくことで、子どもの心の中に生きる力がよみがえってくるんだなぁ、ということを、お父さんやお母さんもわかってくるのです。
 私にも、こんな体験がありました。ある年の冬、私が比叡山に行ったときの事です。ちょうど雪が降り積もった朝のことで、まだ誰も雪の上を歩いていない時間に、根本中堂にお参りしたんです。そのとき誰の足跡もついていないまっさらな雪の上を、自分で足を踏みしめながら道をさぐって歩いたとき、自分でやったという体験の喜びを強く味わったことがありました。
 思えば、お父さんやお母さんも、お子さんが新しい雪を踏む喜びを味わえるように、先へ出ないで寄り添ってくださるとき、お子さんにも自分の力で立ち上がる力が生まれてくるのでしょうね。

 そして、巡礼の歩みもまた、仏さまに「随順」していただく体験です。
 お遍路の笠には「同行二人」と書いてあります。巡礼のときには杖をついて歩くわけですけれど、その杖が四国ならば弘法大師のお姿であり、観音霊場であれば観音さまのお姿なんですね。その杖は一緒になって歩いてくれて、いつも脇に添って、決して私たちの思いを越えてはうごかず、こちらの思いに随順して下さるのです。
 したがって私たちは、お大師さんや観音さまが私たちに随順してくださる巡礼の歩みをとおして、心のエネルギーを取り戻す体験をするんですね。巡礼の旅はまさに「自然者(じねんじゃ)の法」だったのです。
 私たちはそういうことに気づいて、−杖をつく、つかないは自由として−とにかくみんなで観音霊場を廻ってみようじゃないか、そして同じ方向を向いて歩き、お互いがお互いに随順し合いながら、心を語り合ってみようと、秩父三十四観音の霊場を二泊三日の”巡礼エンカウンター・グループ”として廻ることをやっているのです。それも今年の秋には二十五年目になります。一回も欠けることなく、ありがたいことです。
(後略)


如是我聞
自己を護る

奈良 康明
(駒澤大学総長)

 私の古い友人は最近奥さんを亡くした。家庭的で世話女房型のいい奥さんだった。病気は癌で、もう少し早く判っていたら、と今になって皆が悔やんでいる。調子がよくないと病院へ行った時にはすでに手遅れで、半年も経たないうちに亡くなってしまった。
 子供さんたちはすでに独立していて、友人は今一人で住んでいる。奥さんと一緒に長く生活を共にしてきたこの家は去りがたいらしい。道具や家具をみるたびに、これをこんな風に使っていたとか、掃除していたとか思い出す。ある時、外から帰ってきた。以前ならそこには夕食の支度をしている奥さんの姿があった。今は、誰もいない。これからわびしい食事を自分で作るのかと思うと、気が滅入って、「おい、早く帰ってきて食事にしてくれよ」と声をあげたという。
 年甲斐もない話しで、判っていて愚痴をこぼしちゃったよ! と自嘲的に語っていただ、彼のこの言葉はかならずや奥さんに届いていると私は思った。亡き女房を思い出し、慕い、思わず出てくる言葉は死者への心からの贈り物だろう。
 そして私は遠藤周作の『深い河』の中のあるエピソードを思い出し、彼にもそれを伝えた。やはり世話好きの奥さんのようだが、その奥さんが癌で亡くなった。入院中に使っていた手帳を後で開いたら、洋服のしまってある場所をはじめとして、ご主人一人でも困らないよう、いろいろな連絡事項が書いてあった。日常生活の注意も細かなところまで指示されていて、寝る前にガスを点検すること、とか掃除の仕方まで書いてあった。「こんなことできると思うか」と思い、彼は「何時までも、家を放ったらかさずに…早く…戻らんか」と怒鳴った。
 似たような話だか、どちらもよく判る。言っても詮のない愚痴であることを知っていても、心の思いを発することで鬱屈した感情が解放される。同時に、亡き人を思い出し、語り掛け、心をさしのべる「回向」でもある。
 そして、遠藤周作氏の書いた男性もおそらく同じだろうと思うのだが、私の友人はこう語りかけた後で、かえって、死んだ女房のためにも前向きに生きていこうと元気を取り戻した、いや少なくとも取り戻そうとしている、のである。

 身体、言葉、心を慎むのは善い行為である。どんなことにも慎みをもつことは善い行為である。あらゆることに慎み、恥じる(自己を反省する)人は、自己を護る人である。(原始仏典、『相応部経典』III、1、5)

この句で釈尊が自己を護るというのは、破滅することのないよう自己を護ることであろう。身体と言葉と心の行為、つまり心身の行為のすべてにわたってしかるべく抑制し、行き過ぎがなかったかを反省する。それが自己を護って破滅の人生から救ってくれる。つまりは自己を見失うなと言うことなので、釈尊は「自己を見失っては本当の幸福は得られない」(『ヴィナヤ』大品、I、14)、と見事に言い切っている。
 しかし、早く食事を作ってくれよという言葉は、少なくとも表面は、自我を抑制した言葉ではない。それにも拘わらず、こう語ることによって友人はかえって自分を取り戻している。単なる表現の問題ではないので、こう語りかける愛情そのものがバランスを失っていないのである。哀しさを秘めた大人の愛のことば、と言うべきであろうか。

(全文)
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