老いて大和路の旅
辰繁 存 (元エフエム富士社長)
このところ毎年紅葉の頃に、家内と親戚の娘が運転する車で一週間の旅をしている。今年二人が選んだのは大和路だった。奈良を基地として古い寺を廻ってみたいと言う。私にとってそこは戦後の一時期、惹かれたように足繁く通ったところだ。あれから数十年。しばらく訪ねていない寺もある。人生残んの日を思えば、嬉しい案だった。
貴重な休暇を私たちにつきあってくれるその娘は街を歩いても人目を引くほどの美形だが、なぜか縁遠かった。それが最近何回目かの見合いの相手とは、二、三度会っているらしいと家内の話である。だが先方からとくに意思表示はない。大体近頃の男性は優柔不断、彼女自身も気持ちがはっきりしないと周りが気を揉んでいる。出発前の打ち合わせで家に来た時、もし迷いごとがあったら、この際佛さんによく相談することだと冗談を言うと、はい、と素直な返事だった。
奈良は博物館で正倉院展も開かれていて賑わい、観光客が煎餅をやりながら鹿とたわむれている。懐かしいこの街の風景だ。公園近くの宿からは寺々に歩いて行く。
最初に訪ねたのは東大寺大佛殿。大佛さんはこんなに大きかったかしらと二人は感嘆の声をあげる。熱心に見廻っている娘に、いい相談ができたかと尋ねると、「あまり大き過ぎて相談相手になりません」。もっともだ。
以前は電車で行った西の京も、車なら遠い距離ではない。昔は東塔ひとつを目当てに辿り着いた薬師寺に、今は二つの塔が古色と彩色をもって対峙している。同じく色彩な回廊、金堂に囲まれて、老いたる旅人は古塔の思い出を語るのみ。だが、金堂の三尊は変わらぬ美学を示現する。合掌、至福の刻。
東塔院の聖観音の前に座りこんで動かない娘に、こんな凛々しい男性像を今の日本に期待しても無駄だよと余計なことを私語くと、「それは分かってます」と真顔で答えた。
車で走り抜ける唐招提寺への道にも、昔の面影はない。斑鳩、法隆寺の周辺も変わった。昔は心ひそめて歩いた白砂青松の道を、私たちも門前近くまで車で乗り付けるのだ。
しかし、団体客や修学旅行の群れを遣り過ごしながら五重塔を仰ぎ、そして新しい大宝蔵院で白鳳、飛鳥の名品古像を巡っていると、胸の奥にじわじわと例えようのないよろこびが込み上げてくる。像の前で私は多少の知識をひけらかさなかった。見る者は自分の眼でなにかを感じとればよいことだ。同行の二人も次第に言葉少なくなってくる。
宿に戻っては夕食時から床に就くまで、その日接した佛像について話しあった。この旅で私が更めて感動を深めたのは東大寺戒壇院の四天王、法華堂の帝釈天だったが、二人は日光、月光菩薩の魅力を讃え、大観音の掌中の珠の不思議を語りあっている。「いろんなお寺があり、いろんな佛さんがあるのですね」。しみじみと娘が言うのを凡なる感想とは思わない。「それを知っただけでも勉強だよ」。
「日本は佛教国なんでしょうか」とも言う。「戦中戦後の人々の荒々しい振舞いを見てきた僕には、とてもそうだとは答えられない。でも奈良に来てみると、この国がどっぷり佛教文化のなかで歴史を作ってきたことが、よく分かる。今こうして僕たちが毎日見て廻っているのは、紛れもなく国の最高の文化遺産、最も美しい芸術なんだろうな」。
一日は柳生街道に車を走らせた。円成寺は見違えるほど立派になった。大日如来はガラス越しに見る。変わらないのは浄瑠璃寺。日曜日で客は多かったが、この寺を訪れる人は行儀がいい。九体の前は足音を忍ばせて歩き、その日扉の開いていた吉祥天には静かに憧憬の目を注いでいる。
また一日は南に下って、飛鳥寺、岡寺、橘寺。国道に戻って、長谷寺、聖林寺。
寺域は整備されたが、聖林寺は昔の雰囲気を伝えていた。和辻先生の本を抱いて、この坂を上ったのは五十年前か。拝観受付の老女はあの日熱心に十一面観音の美を語り続けた婦人だろう。この像の均衡性については見方がいろいろあるようだが、良い照明のなかに浮かんだ像は、ふくよかな量感をもって私たち三人の心を捉えた。
「ずっと見てきて観音様や阿弥陀様になんだか親しみを感じます。困った時に手を伸ばして救けてくれそうで」「その気持ちは正解だ。人間なんて弱いもの、もろいもの。年を取れば段々それが分かってくる」。
旅の終わりは室生寺だった。山門をくぐれば紅葉に荘厳された、この世の浄土。女人高野はとりわけ女たちをよろこばせる。心豊かに諸堂を巡り石段を登りつめると、五重塔。災害から見事に復原した端麗な姿を見せる。旅の始めは大佛さんだった。大きいものは美しく、小さいものもまた美しい。
塔の下に娘たちを立たせた。この人との旅、この人にカメラを向けるのも、これが終わりかもしれないと、ふと思った。
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