月刊誌「在家佛教」のご紹介
 バックナンバー 

平成14年12月号から
平成14年12月号
目 次
ページ
表紙 帰家隠坐 編集部・撮影
ブッタの道(36) [グラビア]死の沙海4
自浄其意清水谷 孝尚5
時節との出会い杉谷 義純6

行雲流水
  カンボジアとベトナム波佐間 正己7
  鬼来迎黒川 文子10
  念佛する国土松田 正典12
  健康は自分の手で四方田 千佳子15

いま、真実野いのちを深く頂く高 史明18
老いの輝き 続日野原 重明52
良寛さまの法華経 2竹村 牧男76

自然法爾であるよろこび佐藤 友則96

心月輪
 佛の命を知る「再生」
石上 善應30
如是我聞
 念と祈り
奈良 康明50
同心円
 自分という自然
金光 寿郎64
拈華微笑
 自己評価
坂東 性純74

「いのち」と「こころ」花谷 和子32
清掃四十年鍵山 秀三郎45
あみだのいのち西川 和榮69

連載
  老いに学ぶ 8
   老人のこころの内
小島 寅雄66
  會津八一 人生と芸術 7
   歌集『南京新唱』 続
原田 清84
  日本佛教の流れ 40
   日本佛教の特質
田村 晃祐90

加藤辨三郎・言葉抄 26編集部・抄録98

 今月の表紙101
 在家佛教通信 記念行事/インド巡礼の案内102
 編集後記105
 在家佛教講演会案内106
カット  杉本 順
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12月号より一部を抜粋します。
清掃四十年
心の荒みをなくしたい

鍵山 秀三郎
(株式会社イエローハット取締役相談役)

 私はこれまで心掛けてきましたことの第一番は掃除です。なぜ、私が徹底して掃除に取り組むようになったかと申しますと、もともと私の両親は掃除好きで、東京におりました時、私は五人兄弟の一番下ですが、私たちが廊下を歩くと、廊下の足跡が気になって、いつも子供の後を追いかけて足跡を拭いて歩いているくらい、私の両親は掃除をしたんです。玄関の格子戸など一日に三回も洗って拭きましたから、格子戸の四角い桟が細く丸くなるくらいでした、そのくらい掃除をしていました。
 ですから掃除そのものに違和感は無かったのですが、特に私が掃除を一生懸命にするようになった理由があるのです。
 昭和三十六年の十月十日に私は自転車一台の行商で今の事業を創めたのです。ですから最初は一人だったのですが、だんだんお客様を開拓するに従って私一人の手には負えなくて、縁のある人たちが三人、五人と私の元に来てくれるようになりました。
 しかし、零細企業というものはとても惨めなもので、行った先々で屈辱的な想いをするんですね。私は自転車の行商を二年余りしておりましたけれども、皆には自転車の行商などさせられませんから、無理をして中古車を買い、その人たちには車で回ってもらうのですが、行った先々で、縁もゆかりもない所へ行って物を買っていただこうとしますと、本当に屈辱的な目に合うのです。私は我慢出来ましたが、会社の人は我慢出来ない。そうしますと、荒みきった心で帰って来るわけです。
 心の荒んでいる時というものは始末が悪いもので、まず、態度・言葉・表情が荒っぽく、暗いですね。そして、荒れてきますと、椅子や机の足を蹴ったり、カバンを投げたり、時には、大きな声でため息をついたりするんですね。もう私にとっては、一つ一つが堪えがたいことでした。
 でも、私は、その人たちを言葉をもって説得することは出来ませんでした。今、こんな歳になって人様の前に立つようになりましたけれども、人に話をするということが、私にはとても苦痛でできなかったんです。ですから想いは胸の中に沢山あっても、それを人に伝えるということが出来ませんでした。
 そこで、どうしたかと言うと、とにかく環境をきれいにすれば、人の心は必ず穏やかになるはずだ、人間は見ているものに心は似て行く、必ずいつも目にしているものに心は似て行くものだから、周囲をきれいにすれば心も穏やかになり、やさしくなるはずだと信じて、私は、朝五時には会社に行って、そして、掃除をしておいて出掛ける。途中で帰って来て見ると、もうきれいにしておいたはずのトイレが汚れている、また掃除する、一日に二度も三度もトイレ掃除をしました。
 そうしたら、皆良くなったかというと、ならないのです、反対になってしまった。何故かと言うと、「よその会社は、社長が立派な車に乗って、立派な格好をして、どんどん仕事を広げて行くから会社はどんどん伸びて行くのに、うちでは、社長が朝から裸足になってズボンを捲って、掃除用バケツと雑巾、チリトリと箒を持ってウロウロしている、そういう惨めったらしいことをしているから会社が伸びない」と、みんな私には言いませんが陰でそういう話をし、銀行さんも、「社長がこんなことをしていたんでは会社は将来見込みが無いですよ」と言い、またメーカーさんもそう言う、誰もが非難はしても「いい事をしていますね」と言う人はおりませんでした。
 私も迷って、もっといいことがあるのかな、これ以上いいことがあるならば、それをやろうと思いましたけれども、私にはどう考えてもそれ以上にいいことが思いつかなかった。迷っては戻り迷っては戻りして、今日まで続けてきてみたら、それがとてつもない大きな力になったということを途中で知りました。

  ●

 中国の教えに、こういう名言がありました。 「十年、偉大なり」。どんなに取るに足りない小さなことでも十年間心を込めてやり続けると、それは偉大な力になると言う。
 更に十年、「二十年、畏るべし」と。畏るべき力になる。「三十年、歴史になる」、一つの歴史とも言える出来事という教えです。本当に、このとおりになりました。
 最初は非難ばかりして誰もやらなかった掃除を、十年経つ頃になったら、皆が、ボツボツ、ボツボツ、やり始めました。やれと言ったことはないのですが、二十年経ったら、ほとんどの人がやっておりました。
 三十年経ってみたら、外から「掃除のやり方を教えて欲しい」と言って、訪ねて来るようになりまして、それが元になって、『日本を美しくする会』が誕生して、今、日本国中に運動の拠点が出来たのです。
 実は、ついこの間まで徳島県だけなかったんです。困ったな、と。本当は、一人、徳島県には私の懇意な人が居て、この人にお願いすれば「必ずやる」ということは解っていたのですが、その方が余りにも沢山の公職を背負って居られて、ただでさえ大変だということを私はよく知っていましたから、その上に更にお荷物を背負わせることは私としては忍びないからやらなかったんですけれども、しかし、高知で鏡見野中学という学校のトイレ掃除をした時、その方が、徳島からバスで十五人、朝四時に出発して応援に来てくれて、「徳島県は私がやります」と約束をして下さったものですから、これで日本全県に行きわたることになりました。
 高知のこの中学校の掃除をした時には、橋本大二郎・高知県知事もお見えになり、そして裸足になって、素手で、私たちと一緒に便器にしがみ付いて掃除をして下さいました。さらに、「県の催しとしてやりたい」と言うことで、昨年、日本を美しくする会では、高知市内の四つの学校のトイレをお借りし、全国から千五百人が参加し、第二回全国大会をかねて開催しました。
 また、海外では、ブラジルで、日本を美しくする会のメンバーが参加し、サンパウロ市のパウリスタ大通りを、二千人の現地の人たちといっしょに大掃除をして、翌日は公園のトイレ掃除をしました。この運動が、今年で七年間続いております。
 北京にも、私は三回行きました。上海も一度行きました。北京は、行って良かったですね。何と、あの反日感情の強い北京の大学生が「私たちは、日本人に恥ずかしくなった」と言ってくれたんです。最初は「人の汚したこんな汚いトイレで何やってんのか」と思って見ていた、ところが人の汚した汚いトイレを黙々ときれいにしている姿を見ているうちに、「自分たちは恥ずかしくなった」と、途中からドンドン、ドンドン参加して来て、一緒にやってくれました。
 新聞にも、「我々は、この日本人の精神性を学ばねばならない」と書いて頂き、とても私は嬉しく思いました。
 最後に「五十年、神の如し」。五十年間心を込めてやりとおすと、それは「あたかも、神様のようなものだ」と言う。
 私はまだ四十年しか経験しておりませんので、この最後の所に行くのはまだ十年あります。これはまだ経験しておりませんが、ここに行くまでに佛様になってしまうかもしれない。出来れば、あと十年は生きたいと思っております。(全文)

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