月刊誌「在家佛教」のご紹介
 バックナンバー 

平成14年10月号から
平成14年10月号
目 次
ページ
表紙 菩提樹下の佛足跡 編集部・撮影
ブッタの道(34) [グラビア]佛教東漸の道 こう野の声4
家庭にみ佛の光を水谷 幸正5

行雲流水
  土光邸を訪ねて浜島 典彦6
  "名月は孤ならず"永田 美穂8
  「母の日」に想う和田 隆11
  少し坂道!岡田 真美子13

文明の進歩は人類の幸せか板橋 興宗16
平常心是道ということ 池田 魯參45
興教大師の懺悔の心 福田 亮成84

佛のいのちの中で瀬上 敏雄27
ころんでひろったこと青山 俊董56

心月輪
 さんげ
石上 善應32
拈華微笑
 心と物の繋がり
坂東 性純54
如是我聞
 自分を仇敵のようにみなす
奈良 康明62
同心円
 死に方と生き方
金光 寿郎70

ブッディスト ウィズアウト アイ高橋 堯英72
玉虫の厨子山田 浩三80

連載
  老いに学ぶ 6
   桶のたが
小島 寅雄34
  會津八一 人生と芸術 5
   西国放浪
原田 清64
  日本佛教の流れ 38
   鎌倉佛教の成立(4)日蓮
田村 晃祐74
  「いのちの世紀」の生き方を考える 11
   ゲノムから見たヒトの位置付け
才園 哲人95

加藤辨三郎・言葉抄 24編集部・抄録100

 今月の表紙69
 在家佛教通信 創立50周年記念行事82
 編集後記105
 在家佛教講演会案内106
カット  杉本 順
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10月号より一部を抜粋します。
文明の進歩は人類の幸せか

板橋 興宗
(曹洞宗管長 鶴見・總持寺貫首)

(前略)
 自分がほほ笑めば人もほほ笑む

 わたしは「いのち」という言葉を最近よく使うのですが、いのちが満足し、充実したときは、顔が、表情が、自然にほほ笑むのです。それがわたしなら坐禅なのです。あるいはお念佛ならお念佛でもいいのです。
 あるいは何かを一所懸命やっていて、「うーん、今日も終わったなー。今日はこれをやり遂げた」と。身体が充実してくる、そのときに出る表情が、「ほほ笑む」です。いのちの充実感です。それが、顔の表情に出るわけです。
 円空菩薩や木喰上人のお佛像を思い出してください。あれを彫った人たちは、自分の住まいもない、鉈一丁、鑿一丁の道具で、どこかのお堂に入ってパッ、パッ、パッ、と彫った、その佛さまがみな、ほほ笑んでいるのです。見かけは荒っぽいお像ですが、どこかにほほ笑みがある。
 ほほ笑みの表情を作るということは、自分にほほ笑みがなかったらできないのです。これを一体彫るといくらになる、何日までに仕上げなければということでは、わたしたちがほっとするような、あの雰囲気が出せないはずです。
こちらが見ただけで、梅の香や・・・・・・と俳句の一句も出てきそうな気持ちに誘われ、こちらもほほ笑む。実際、お佛像を見るとこちらもほほ笑むのです。
 宗教の根源も、生きるいのちの根源もそこにあるのです。これは誤解をしないように聞いてほしいのですが、いかに多くの人間を救済するかというような行動も大事ですが、自分のいのちがほほ笑み、人をほほ笑ませる、それが宗教の根源です。
 ですから広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩、法隆寺の百済観音などが一言も説法しないのに、今まで何千何万の人々が、あのお姿を見て救われたことでしょうか。宗教の本来の救いというのはそういうものなのです。
 自分自身がほほ笑むことを知らずして、人を救済しようとしてもそれは無理です。 (後略)

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