月刊誌「在家佛教」のご紹介
 バックナンバー 

平成14年8月号から
平成14年8月号
目 次
ページ
表紙 サンチーの丘の僧院址 編集部・撮影
ブッタの道(32) [グラビア]チベットの僧院4
「教え」の光に照らされて大石 法夫5

行雲流水
  心の写経太田 久紀7
  陰徳を積む上村 勝彦9
  病を縁として中村 敏郎12
  地上の星として村上 大朗15

法句経禅話福島 慶道20
静けさの世界加藤 辨三郎52
掌を合せて生きる 続 対談中村 富子80
金光 寿郎
ホスピスのこころのケア日野原 重明31
久遠のいのち常磐井 鸞猷45

如是我聞
 地獄
奈良 康明18
心月輪
 戒の根本精神
石上 善應50
拈華微笑
 自我を葬る
坂東 性純68

色即是空、空即是色越沢 浩94

連載
  老いに学ぶ 4
   懐中時計の銀ぐさり
小島 寅雄70
  日本佛教の流れ 36
   鎌倉佛教の成立(2)親鸞
田村 晃祐74
  會津八一 人生と芸術 3
   学規
原田 清88
  「いのちの世紀」の生き方を考える 9
   ゲノムで人はどこまで決まるのか?
才園 哲人96

 今月の表紙73
 在家佛教通信 記念行事/坐禅会/韓国古寺巡礼102
 編集後記105
 在家佛教講演会案内106
カット  杉本 順
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8月号より一部を抜粋します。
対談
掌を合せて生きる 続
「拝む姿はこの世でいちばん美しく尊いのに
手のないわたしには拝む姿ができない−」
中村久子

中村 富子
聞き手・金光 寿郎

(元NHKチーフディレクター)

(前略)
「ない」から「ある」の世界へ

中村 母が大きく変わったのはやはり『歎異抄』に出会い、いろいろな先生方にご縁をいただいてからで、それまでは嫌で嫌でたまらなかった興行の世界でしたが、そこから出たいという気持ちが変わって、この世界あればこそ自分は生きられたのだと感謝できるようになった。そうしますと、今まで出たい出たいと思っていた坩堝
(るつぼ)が坩堝でなくなったというのです。そしてそれまでは「ない」と悲しんでいたんですね、手もない、足もない、金もない、何もない、と。それがパッと「ある」の世界、「有」の世界を見いだしたのです。手が肘から先ないのではない、肘からこっちがあるではないか。足も膝から下がらないのではない、膝から上があるではないか。その「ある」の世界に変わったときにこころが豊かになった、大きくなった、と。

金光 久子さんには、こんなことばがありますね。「ほんとうの善知識はわたくしの身体、手足がないことが善知識だったのです」とおっしゃっていますよね。こういうことばはなかなか出ませんね。

中村 ほかに先生がいるとかいないとかではなく、わたしをこれだけに持ち上げ、みなさんとご一緒の生活をさせていただけたのは、この身体のお蔭で、手足のない身体なればこそ、みなさまが大事にしてくださった、手足があったら、すばらしい先生のお話を聞かせていただいたり、お教えをいただくことができたかと思うと自分でこの身をよろこばなければならない、といつも言っておりました。自分の置かれた立場、今ならリストラにあってどん底に置かれた人でも、その中に自分の生きる道を見いだしてほしい、母はそういう思いを持ったと思います。
(後略)

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