月刊誌「在家佛教」のご紹介
 バックナンバー 

平成14年7月号から
平成14年7月号
目 次
ページ
表紙 竹林精舎の遺址 編集部・撮影
ブッタの道(31) [グラビア]西チベットのラダック4
憂国の情止み難し瀧藤 尊教5

行雲流水
  西谷啓治と「生花」梶山 雄一8
  役に立つ「いのち」・立たない「いのち」?田代 俊孝10
  時間がくるまで島崎 光雄13
  「正義」と「和」小林 博聞16

手を合わせて生きる 対談中村 富子19
金光 寿郎
良寛より学ぶこと西川 玄苔50

如是我聞
 知恵と智慧
奈良 康明6
心月輪
 病める心の共感
石上 善應48
拈華微笑
 衆生済度とは?
坂東 性純70

阿羅漢たちとあう楽しみ草柳 大蔵32
石を持て追われる大石 勝男45
六十年ぶりの帰郷森江 俊孝69
慕古相澤 一男86
愛別離苦−臨死体験に寄せて−古澤 龍堂88

連載
  日本佛教の流れ 35
   鎌倉佛教の成立(1)法然
田村 晃祐72
  老いに学ぶ 3
   ふるさとの松林
小島 寅雄78
  會津八一 人生と芸術 2
   閨秀画家
原田 清81
  「いのちの世紀」の生き方を考える 8
   生体に学ぶテロとの戦い
才園 哲人90

加藤辨三郎・言葉抄 22編集部・抄録100

 在家佛教通信 記念行事/坐禅会/韓国古寺巡礼96
 今月の表紙99
 編集後記105
 在家佛教講演会案内106
カット  杉本 順
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7月号より一部を抜粋します。
行雲流水
役に立つ「いのち」・立たない「いのち」?

田代俊孝
(同朋大学教授・名古屋大学医学部倫理委員)

(前略)
 かつて、佛法に出会い、四十一歳で、三人の子をおいて、がんで亡くなっていった方が、こんなことばを残していった。その真ん中の子は、重度の障害児であった。長男にあてた文章である。
 「あなたは、覚えていないでしょうが、昔、おかあさんが由紀乃ちゃんの体のことで、悩み、いっしょに死のうと思ったとき、あなたが助けてくれたのです。『おかあさん、由紀乃ちゃんは顔も手も足もお腹もきれいだね。由紀乃ちゃんはおうちのみんなの宝物だもんね』幼いあなたのこの一言が、お母さんの目を、心を覚ませてくれたのです。そして、それからはずうっとあなたのおかげで生きてこれたような気がしています。
 お人形さんのように可愛らしい由紀乃ちゃんが、重度の心身障害児であるとつげられてから十五年、ずっしりと重い十五年間でした。眠れないままに、小さな体を抱きしめて泣き明かした夜。お兄ちゃんと三人で死ぬ機会をうかがい続けたつらい日々もありました。
 この子の人生は、何なのですか。ただ空しく過ぎてゆく人生など生きる価値もないではありませんか。大きな問い、無言の問い、由紀乃の問い……」
 障害を持ったこの子の生きる価値はどこにあるのか。役に立たないものは、生きる価値がないのか。この母は、幼い長男のことばに気づかされた。「役に立つ、立たない」がすべてではない。人は存在そのものに意味があると。
 「それに気づかされた日からお母さんは変わりました。自分自身の生き方に対して、深く問いを持つ事もなく、物心ついた頃より、確かに自分の手で選び取ってきた人生の責任を一切、他に転嫁して恨み、愚痴と怒りの思いばかりで空しく日々を過ごしてきたのは、実はお母さんの方だったと思い知らされたからです。気づいてみれば、由紀乃ちゃんの人生はなんと満ち足りた安らぎに溢れていることでしょう。食べることも歩くことも何一つ自分ではできない体をそのままに、絶対他力の掌中に抱き込まれ、一点の疑いもなく、任せきっている姿は美しいばかりでした。抱き上げればニッコリ笑うあなたは、自分をこのような体に生み落とした母親に対する恨みもみせず、高熱と発作を繰り返す日々の中で、ただ一心に病気を背負い、今をけなげに生き続けているのでした。
 由紀乃ちゃん、お母さんがあなたに残せるたった一つの言葉があるとすれば、それは『ありがとう』の一言でしかありません。なぜなら、お母さんの四十年の人生が、真に豊かで幸福な人生だったと言い切れるのは、まったく由紀乃ちゃんのおかげだったからです。」
 四十一歳でいのち終えて逝く母に、「真に豊かで幸福な人生」だったと言わせるような大きな学びを、この子は母に与えている。
(後略)

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