月刊誌「在家佛教」のご紹介
 バックナンバー 

平成14年6月号から
平成14年6月号
目 次
ページ
表紙 第一結集の故地(七葉窟) 編集部・撮影
ブッタの道(30) [グラビア]ヒンドゥークシ山中4
あらためて佛像の意味多川 俊映5

行雲流水
  高齢者に学校給食を香川 芳子6
  第12番目福田 亮成8
  佛の命と人間の責任中野 東禅11
  「まさか」と言うこと獅子 てんや13
  日本のイスラーム研究東 隆眞15

不死の生奈良 康明18
佛はひとり我がために法を説きたまう 続石上 善應70

拈華微笑
 心を映している環境
坂東 性純55
同心円
 「有漏の穢身は変らねど・・・」
金光 寿郎66

「佛教」と「佛教史」とのはざまで田村 圓澄45
思い残すことなく生きる早乙女 勝元50
死をめぐる論議の見取図赤池 憲昭61

ルンビニーの大佛舎利塔遠藤 證圓68
武道と佛道と山川 健治81
良寛さまの最晩年に学ぶ吉田 國廣88

連載
  老いに学ぶ 2
   一枚の油絵
小島 寅雄34
  會津八一 人生と芸術〈新連載〉 1
   正岡子規
原田 清56
  「いのちの世紀」の生き方を考える 7
   人口爆発について
才園 哲人82
  日本佛教の流れ 34
   南都佛教の発展(三)華厳宗(1)
田村 晃祐94

加藤辨三郎・言葉抄 21編集部・抄録100

 在家佛教通信・50周年記念記事/九州旅行90
 今月の表紙93
 編集後記105
 在家佛教講演会案内106
カット  杉本 順
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6月号より一部を抜粋します。
行雲流水
高齢者に学校給食を

香川芳子
(女子栄養大学学長)

 私は栄養学を指導しているせいか、なにかにつけて健康について考えます。本を読んでも人の話を聞いても、みんなが健康になるためにはどうしたらよいか、なにかよい方法はないかしら、と。そんなわけでちょっと我田引水になりがちですが、聖書の中で私が好きなのは、

 「わたしたちは、何も持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである」(テモテへの第一の手紙6章)

という言葉です。私たちは裸で生まれ、この世を去るときも財産や名誉を持っていくことはできない。だから、生きるために必要な食べ物と着る物さえあれば満足すべきだということでしょう。私もこの言葉のように財産や名誉にとらわれないで、身軽に暮らしながら、だれかのために少しでもお役に立てたらいいなと思っているのです。
 食べ物といえば、聖書にはイエスと12使徒の最後の晩餐をはじめ、5つのパンと2匹の魚を祝福してさき与えると大勢の人が食べて満腹になり、残ったパンくずを集めると12のかごに一杯になったなど、食事の場面が繰り返し出てきます。食物は人間の生命を養うもの、活動の源として大切にしているのです。そして、少しのものでもみんなで分け合って食事する楽しさを教えています。
 ところが、高齢者の中には食事の支度が面倒だという人がたくさんいます。買い物に行くのが億劫で、あまり外出もしないという人もいます。食べない、歩かない、人と話もしなければ、体が弱り病気がちで、脳も退化して痴呆になりかねません。最近も痴呆の妻が、栄養失調で夫が亡くなったことさえ理解できないで、死後何日かたっていたという新聞記事がありました。そんな現状を知るたびに私は、栄養のバランスがとれた学校給食を利用できないだろうかと思います。たとえば、空き教室を利用してお年寄りと子供が一緒に食事をするのです。
 地域によっては、ときどき高齢者を学校に招いて招待給食をしたり、希望者の自宅に給食を配達したりしている所もあります。
 それも1つの方法ですが、私が考えているのは日常的に高齢者が小学校の給食を利用できるようにするということです。公立の小学校では、ほぼ100%が学校給食を実施していますし、たいていの場合、学校は歩いて行ける所にあります。また、高齢者に合わないメニューのときは、手伝えるお年寄りが細かく切ったり柔らかく煮たりすればよいでしょう。子供との会話や高齢者同士の親睦はボケ防止になり、地域の民話などを話せば文化の伝承にもつながります。そんな交流があれば高齢者が校庭の草取りや巡回のボランティアなどもでき、神戸の児童殺傷事件のようなことも防げるのではないでしょうか。
(以下省略)

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