月刊誌「在家佛教」のご紹介
 バックナンバー 

平成14年3月号から
平成14年3月号
目 次
ページ
表紙 ブッダの故国カピラヴァストゥ 編集部・撮影
ブッタの道(27) 〔写真〕佛教東漸の道
4
光と陰瓜生津 隆真5

行雲流水
  「過ち」の底にある「願い」下田 正弘6
  法然上人伝の史実とテーマ梅庭 昭寛8
  元特攻隊員の国際画家上原 和11
  朝家の御ため国民のため西村 心華13

伝教大師がめざしたもの杉谷 義純16
このごろ思うこと 3
 不自由が自由になる世界
金光 寿郎32

慈悲―ブッダのメッセージ―江原 通子45
アニミズムとアニマティズム脇本 平也86
「疑いながらも念佛すれば」続石上 善應50
照らされて、導かれて(下)青山 俊董70

連載
  一道を歩み続けて 完
   師佛の教えがあればこそ
大石 法夫62
  「いのちの世紀」の生き方を考える 4
   組換え作物について
才園 哲人80
  日本佛教の流れ 31
   南都佛教の発展(一)律宗(3)
田村 晃祐92

加藤辨三郎・言葉抄 18編集部・抄録100

 今月の表紙91
 在家佛教催し物案内<50周年記念行事>98
 編集後記105
 在家佛教講演会案内106
カット  杉本 順
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3月号より一部を抜粋します。
「行雲流水」より
慈悲
−ブッダのメッセージ−

江原 通子
(随筆家)

 もう八十歳をすぎた日本女性の私は、どう間違ってもアメリカの大統領になれる筈はありません―こう書き出しただけで精神の健康を案じて下さる方も多かろうと思いますが、でも実際その私が、去る九月十一日のテレビの前で、
 「あゝ、もし私が大統領だったら―」
と、本気で不遜な感懐を抱いたことは確かなのです。それはまずこう言うことです。
 アメリカの大統領は全アメリカを支配して居り、そのアメリカは世界のご意見番として、世界中何があっても手を貸し、口を添える、正義の味方を以って任じる世界一の大国です。その大切な国の大統領が、あの日テレビの前で怒って居ました。人は勿論、喜ぶのも怒るのも、すべて個人の自由ですが、しかし自由といっても、怒れば怒った人は必ず損をします。ましてや公人は怒ってはならず、公人中の公人、世界で一番大切なアメリカ大統領は決して怒ってはならないのです。何故ならば、怒りは真実の智慧をくらます紙礫(つぶて)で、大統領といえども人間である以上、その礫の威力を避けることは出来ません。智慧をくらますと必ず自他共に不幸になります。
 そこで私は、もし自分が大統領だったらどう言おうかなと、無責任な想念をめぐらしはじめたのですが、それはおおよそ次のようなものでした。

 皆さん、落ちついてお聞き下さい。私は全アメリカの責任を負う大統領ブッシュです。今朝、私の国の東海岸を飛び立った四機の旅客機が、ほとんど同時にハイジャックされました。ほとんど同時刻に四機もです。あゝ何たる空港チェック体制の甘さ、何たる監督不行届き、一切の責(せ)めは大統領たるこの私にあります。全く全世界にお合せする顔がありません。更にそのうち三機は我がニューヨークの世界一ノッポビル二棟と、ペンタゴンに体当たりして自爆し、残る一機も墜落しました。まだ被害の詳細はわかりませんが、おそらく数十ヶ国の国籍を持つ、数千人の方々―我がアメリカを愛して住み、我がアメリカを期待して訪れた方々の尊い命が、一瞬にして奪われたことだけは確かです。申訳ないの一語あるのみです。
 皆さん、悲しいでしょう、悔しいでしょう、憎いでしょう。でも、どうか落ちついて下さい。私も落ちついて、謙虚に、全世界の方々とお話ししたいのです。そもそもこのテロを起こさせたものは何か―起こしたものと同時に、起こさせたものを知りたいのです。それを見究め、解決に献身することこそ、唯一私に与えられた償いの道であると確信するからです。

 大統領がこのように落ちついてくれると、過去の歴史の国家的エゴなぞも自然に見えて来て、ほそぼそながら対話の糸口も掴めるのではないでしょうか。少なくとも今の時代に、「怒り」「報復」、「善と悪の対立」、「引き出して裁く」などという前近代的な発想から、好ましい対話が生まれることはまずあり得まいと思われます。
 怒りは炭素菌よりも伝染性が強く、一たび世界最強のアメリカ大統領がテレビの前で怒りの腕を振り上げてみせると、同じポーズをとる首相とか、しぶしぶ手を振る大統領とか、各国の首脳はそれぞれに苦労し、怒りの毒素は世界中に飛び散って、最終的には罪もない若者が死ぬのです。
 結局これはキリスト教世界とイスラム教世界の、遠くて永い角突き合いの構図ですが、がっちり四つに組んで年を経るまま、もうお互いに倦き倦きして来て中には蔭に廻って何かやらずには居られない人達が澱(おり)のように溜って行くのは当然のことでしょう。AにはAの信念があり、BにはBの主張があって、その上に欲もからんだ揉み合いが、今世紀最初のページを赤く血塗り、次々のページを未知のドス黒いもので塗りつぶそうとして居る現在、AかBかのどちらに加担しても、結局世界を二分して後世に禍根を残す手伝いにおわる危険性があるのではないでしょうか。
 では、もう絶望でしょうか。AにもBにも組せず、ただじっとして居るしか手がないのでしょうか・・・・・・いや、あります。手はあるのです。超越的なCという第三の立場があるのです。二千五百年もの昔から脈々と伝えられた「ブッダのメッセージ―慈悲の教え―」こそが、AB対立を救う唯一第三の道なのです。分かりやすく一ことで言えば
 「汝の敵を愛せよ」
というのがイエスのメッセージなら、
 「敵とは何ですか、愛するとは何ですか」
というのがブッダ釈尊のメッセージです。
 さて、ここでテレビの前の私の想念は更にふくらみ、大統領になれないならせめてブッシュ牧場の隣りに棲んで、ブッシュさんと垣根越しに立話しするチャンスがあったとしたら、こんな風にも言ってみたいなと思いました。

 お宅のワンちゃんとても人なつこくて、時々私の顔を舐めに来てくれますのよ。よい隣人に恵まれて本当に幸せです。ところでブッシュさん、私たち日本人はとても「仇討ち」好きな不思議な国民で、「忠臣蔵」は三百年のロングランがまだ続いて居ますし、「曽我兄弟」の歌舞伎もいつも大入りです。兄弟の命日旧暦五月二十八日は何故か雨が降りやすく、これを「虎が雨」と言って、十郎の恋人虎御前の涙だと俳句の季語にとり入れて、今でも一句詠む人が居る有様です。ところが、その一方で、私たち日本人がとても大切にして居る「仇は討つな」と言う思想があります。
 怨みても怨み返すな人の世は
     怨み怨みてはてしなければ
という、僅か三十一音節に凝縮することが出来るブッダの教えがそれです。十二世紀のころ、漆間(うるま)時国という地方の有力武士は闇討に遭って果てる時、幼い我が子を呼んで「この仇を討ってはならない」と遺命しました。少年は志を立て、知慧の法然房と言われる程ブッダの教えを究め、他力門の教えの系譜を打出し、弟子の親鸞がそれを布衍(ふえん)し、今日(こんにち)自力門と言われる禅の系譜と並んで、日本人の精神界を二分する力となっています。
 怨みは怨みによってしずまらず
 怨みは怨みなきによってしずまる
というブッダの慈悲のメッセージが、今もなお脈々と日本人の心の底に生きているのです。日本人だけではありません。第二次世界大戦後の東京裁判に、インド代表のパル判事はただ一人、

 私の国には、怨みは怨みによってしずまらず、怨みは怨みなきによってしずまるという教えがある。
と言って、全員の無罪を主張し、講和会議の席上ではスリランカのジャヤワルデネ外相(のちの大統領)も同じ釈尊の聖句をあげて賠償請求権を放棄し、中国の蒋総統も、
 暴にむくゆるに暴をもってする事勿れ
と、賠償を求めず、日本の将兵を故国に送り返してくれました。これが「東洋の知慧」です。ブッシュさんも一度テレビの前で、ゆったりと一呼吸なさって―あら、つい、余計なことを、御免あそばせ・・・・・・。

 このように私の妄想がふくらみつづける間、目の前のテレビは次々と各国の反応を伝え、かなり時経て、漸くイラクのサダム・フセイン大統領の短いコメントが流れました。
 「大切なのは、軍事力よりも、チエだ」
それがどのようなチエか知る由もありませんが、すくなくともアフガンをめぐる一連の報道で「チエ」という言葉を聞いたのはこの一回だけだったように思います。
 私たち佛教徒はもう黙っていてはいけないのです。知慧の海に慈悲の船を泛(う)かべて、世界に向かって漕ぎ出さねば、ブッダに申訳がないのです。

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