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有縁の法(『いのち尊し 加藤辨三郎著作集』より)

みなさまがたの社団法人在家仏教協会の事務所並びに講演会場が、このほど、東京都の中心ともいうべき千代田区の大手町ビルに設けられました。 従来とても、ささやかな事務所はあったのですが、講演はそのたびごとにさる会社の会議室を借用していたのです。それもまことにありがたいことなのですが、もう少し多く普及活動をいたしとうございますので思い切って専用の会場を持つことにしたしだいであります。さいわいに多くのかたがたのご支援をいただき、予定通り設けることができました。わたくしは、理事者を代表してみなさまに厚くおん礼申し上げます。わたくしたち会務担当者は、ここを、いわば法城として微力の限りを尽したいと思います。みなさまのいっそうのご協力をお願い申し上げます。

ところで、わたくしは、「在家仏教の宗派は何ですか」という質問をしばしば受けます。 仏教といえばすぐ宗派を連想されるのですね。わたくしが、「この会は、 仏教を聞く会ですから、宗派を問いません」と答えますと、多くのかたは「そりゃいいね」といってくださいます。しかし、なんとなく、たよりなさを感じられるかたもございましょう。折伏(しゃくぶく)も批判もしないのですから。それに、政治的運動を一切しないのですから。しかし、わたくしたちは、これでもひたすら正法(しょうぼう)を求めているつもりです。仏法こそが真に世の中を安穏ならしめる道だと信ずるからであります。わたくしたちはそれぞれの縁によって、それぞれの師から、正法を教えていただこうではありませんか。

そういえば、ある書に四(し)有縁(うえん)ということが説かれています。 参考までに、意訳してお目にかけましょう 。

  1. どうしてあなたは、 有縁の要行(ようぎょう)でもないものをもってわたくしをまどわすのですか。
  2. わたくしがよろこんでいます道は、 わたくしにとっての有縁の行なのでありまして、あなたがもとめていらっしゃるものではございません 。
  3. あなたがよろこんでいらっしゃる道は、 あなたにとっての有縁の行なのでありまして、わたくしが求めるものではありません。ですからお互いに、そのよろこびとする道に随って、それぞれの行を修しようではありませんか。そうすれば必ずやどちらも解脱を得るにちがいありません。
  4. もし、行を学ぼうと欲(おも)うならば、必ず有縁の法に籍(よ)るべきです。功労(くろう)を用いること少なく、しかも利益(りやく)は多いのですから。

この最後の句には、じつは大変な前提が示されています 。

行者(ぎょうじゃ)まさに知るべし。もし解(げ)を学ばんと欲すれば、凡(ぼん)より聖(しょう)に至り乃至(ないし)仏果(ぶっか)まで、一切礙(さわり)なく皆(みな)学ぶことを得よ。

もし仏教を理解したいならば、 仏に成り遂げるまで、あらゆる法門をあますところなく学びとれというのでしょう。おそろしい気魄です。そうすれば、たしかにさとりをひらいて仏に成ることができましょう。しかし、残念ながら、わたくしたち在家者に望むべくもありません。そこに教えられたのが 、さきの「もし行を学ばんと欲すれば必ず有縁の法に籍(よ)れ」であります 。うなずけますね。

禅をよろこばれるかたは、黙って坐ってください。 妙法蓮華経をよろこばれるかたは、どうぞ「南無妙法蓮華経」を唱えてください。浄土門のかたは、ひとすじに念仏してください。 天台、真言、法相、華厳等、それぞれに有縁の行を実践してください。 そのいずれをおえらびになりましょうとも、詮ずるところは、仏・法・僧の三宝に婦依することにほかなりません。そして、それはそのまま釈尊に帰依することでございましょう。 わたくしたちは、めいめいの縁によって、いずれかの宗派に属していますが、じつは、その宗祖をとおして釈尊に帰一しているのです 。じっさい、この協会では、共通の奉唱文としてパーリ語の三帰依を用います。これならば、仏教が、世界のいずこの国にひろまりましょうとも、このまま通じて行くでしょう。わたくしたちは、宗派を問わず、釈尊の旗の下に手をとりあって、仏教の普及に努めようではありませんか。

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