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はたらく (1)(『いのち尊し 加藤辨三郎著作集』より)

わたくしは、はたらく人の心境に三とおりあると考えています。 その一つは、はたらくことを苦しいとおもうこころ、二つには、はたらくことを楽しいとおもうこころ、そして三つ目は、苦しいとか、楽しいとかいう感情をこえた境地、それは、はたらくことをありがたいとおもうこころであります。 おそらく、はたらく人の真の幸福は、はたらくことがありがたくなったときに、もっとも深いものがあるのでありましょう。このことは、のちにお話するつもりですが、まずわたくし自身の思い出ばなしからはじめさせていただきます。

石川啄木の歌に「はたらけどはたらけどわがくらし楽にならざりぢっと手を見る」というのがありますが、いかにもよく、はたらく人の苦悩をうたっていて、読むひとびとの胸を打たずにはおきません。わたくしは、出雲の小さな農村に生まれましたので、明治の末ころの農民の生活をよく知っています。 当時のいわゆる小作人さんたちの労働は、じつにたいへんなもので、米を作るにしても、蚕を飼うにしても、口に尽くしがたい苦労がありました。この人たちは、たいがい未明に起きて、まず、朝食前に畑の草を抜いたり虫をとったりする。朝食をすますと、こんどは弁当をもって野良へいく。そして、文字どおり月影をふんで家に帰るのでした。労働また労働の連続です。子供ごころにも、よくあれで、60、70まで生きられるものだ、とわたくしはおもったことでした。

しかしいまにしておもいますと、この人たちにとって、肉体労働そのものは、わたくしが想像したほど苦しくはなかったのかもしれません。肉体的というよりは、むしろ精神的な苦しみの方が深かったのではないだろうかとおもうことです。それは、主として、地主さんとの関係において生ずる苦悩なのです。おそらく家族ぐるみ、はたらきにはたらいて得た収穫のおよそ半ばを地主さんに収めねばならなかったのでありましょう。わたくしは、 小作人のかたがたが麦のはいらない純粋の米の飯を食べているのをほんど見たことがないのでした。ときには、しいなといって、籾のなかに残っている小さな砂粒ほどの米のかけらをふるい集めてそれをだんごにして食べているところを見たこともあります。わたくしは、 子供ながらにも、こうした生活を見て一種の義憤を感じたものでありました。

わたくしは、 後年、二十歳前後のころ、かの有名な「 はたらかざるものは食うべからず 」ということばを知ったのですが、そのとき、わたくしはその通りだと共鳴したものです。 それはこの農村の実情を見ていたからです。わたくしはいまでも、このことばをあながちに否定するものではありません。 しかし、いまではそういう境地からぬけ出た、もっと私にぴったりくる境地をも合わせて知っています。それはともかくとして、「 はたらかざるものは食うべからず 」という思想は、はたらくとは苦しいということを前提にしているようにおもわれるのです。それは楽しみをわかち合うというよりは、苦しみをわかち合うという点を強調しているといっていいのでしょう。その苦しみをわかち合うこころを撒底させるならば、 おそらくりっぱな宗教に通じて行くのであろうとおもいます。

小作人さんと地主さんとの対立関係は、戦後行われた農地改革で一応解消し、おのおの自作農となって、かつての社会的な不平等はなくなったかもしれないのですが、 それだけで、 はたらくことが苦しくなくなったとは言えないであろうとおもいます。 おそらく、いまでも、あらくれた手をじっと見つめてものを考えられる日があることでしょう。

ところで 、わたくしは、いま、会社の社長をつとめています。みなさまは、さぞかし、わたくしが安楽いすにふんぞりかえって、葉巻でもくゆらしながら新聞を読んでいる光景を想像されるでしょう。それでも、わたくしはいっこうかまわないのであります。ただ、わたくしもまた、はたらいているつもりであり、そうして社長のはたらきもけっしてらくなものでないことを知っているつもりであります。責任の重さを感ずるだけでも相当な苦悩なのです。しかしわたくしは、なにも自己弁護をしようとしているのではなく、はたらく人である限り、どんな地位にいてもけっしてらくなものでないことを身をもって知ったという点を言っているのであります。だから、わたくしは「 はたらかざるものは食うべからず 」などというかわりにただ、「 どなたさまもご苦労さまです 」と頭を下げたい心でいっぱいになっているのであります。

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