トップページ > 図書室 > 加藤辨三郎のページ 

はたらく(2)(『いのち尊し 加藤辨三郎著作集』より)

いま、 わたくしは、 はたらく人の心のなかに、はたらくことは苦しい、少なくとも、 らくではないという気持ちがこびりついているのではないかと言いました。しかし、よく考えてみますと、かならずしも、苦しいとおもうこころばかりではないようです。 存外、楽しいとおもうこころもあるのではないでしょうか。農村のかたがたの仕事にしても、たしかに一面はなはだ苦しいにちがいないが、さりとて楽しさがまったくないともいえないでしょう。一家そろって同じ畑ではたらいている姿は、はたから見ても、まことに心あたたまる思いがいたします。ご本人たちも、おそらく楽しいことでしょう。 かつてまだ中学生であったわたくしに向かって、家内といっしょに田の草をとるときが、いちばん楽しいと語られた人があります。 げんに、ついこのあいだも、近江路を旅したとき、夕暮れ近く、 うらやましい光景を見ました。それは、畑の仕事を終えたご夫婦らしい2人でしたが、 ご主人が耕うん機を運転し、お嫁さんがそれに乗って、楽しそうに話し合いながら山道を下って行く姿でした。

また、つい2週間ほどまえ、NHKの宗教の時間で「 一隅を照らす 」というお話がありました。

そのなかで、86歳のおじいさんが、 毎日8、9時間、眼の見えない人のために小説の点字訳をつづけていらっしゃる心境を述べていられました。このかたは、76歳のとき、ある図書館が、点字のほん訳者を求めている広告を見て、さっそく問い合わされたところ、老人でもできると教えられ、すぐ点字の勉強をはじめられたそうです。 それから八十歳の今日まで、このかたは毎日ししとして有益な著書の点字訳をつづけていられるのです。 そして、この仕事を死ぬまでつづけるつもりだということでした。また、「自分はこの仕事がひじょうに楽しい、とくに読まれた盲人のかたから礼状がくるのがまことにうれしい 」と、心から楽しそうに話されました。わたくしは、深い感銘をうけました。そして、わたくしも晩年をあのような心境で過ごしたいなとおもったことでした。もっとも、 わたくしも、いま、はたらいているときがいちばん楽しいと一応はおもっているのです。 ところが、そうはいいながらもやはりにがいおもいをすることもあれば、辛いおもいをすることもあります。 なんだか、不徹底な話ですが、いうなれば、山登りをするときのように、苦しいけれども楽しいといった方がいいでしょう。この苦しいけれども楽しいという情緒は、なかなか味わいのあるところで、むかしは、「苦あれば楽あり」と教えられたものですが、わたくしはむしろ「苦あるが故に楽あり」といいたい気がします。

ここでちょっと思い出したことがあります。スウェーデンの養老院は案外にも自殺者が多いという話なのです。スウェーデンは、福祉国家としては世界のトップであろうとまでいわれているのですが、その国の行き届いた養老院で自殺者が割合に多いというのはいったいどういうことであろうか。たぶん、仕事を与えないからではないでしょうか。さきほどのかたは、86歳でも養老院などにはいらず、死ぬまで点字のほん訳をつづけるといっていらっしゃいます。 そして、その仕事がまことに楽しいという。ここが急所ではないのでしょうか。

じつは、わたくしも社長になって間もないころ、定年退職者のために会社で養老院をつくろうと考えたことがあります。その後、ただの養老院では、スウェーデンのようになりかねないと気づき、未だに実施にふみ切っていません。しかし頭のなかでは、それがいつもひっかかっているのです。定年退職後の、適当な仕事を与えることはできないものだろうかということは、いつもわたくしの大きな宿題となっているのです。定年といえば、いま日本では、55歳では早すぎるから少し延ばしてはどうかと議論されています。 わたくしも、 これは十分検討されるべき問題だと思います。ところが、フランスなどでは、65歳はおそすぎるから、もう少し早めたいという人があるのです。わたくしが昨年、パリの労働組合を訪間したとき、幹部のひとりは、「日本はうらやましいな、55歳でやめられて 」といいました。もちろん彼らのいう定年繰上げの思想は、そのあとの生活保障をうらづけとしているのであって、つまりは定年退職後はのんびりと遊んでくらそうという考えであります。

それもちょっと魅力ある考えかたのようですが、さて、それで人間は、はたして、はたらく楽しさ以上の楽しさを惑ずることができるでありましょうか。わたくしは、大きな疑問だとおもうのであります。

バックナンバー

 

図書室